1964年生まれ
中学、高校では陸上部で長距離を走っていた。
大学を卒業後バックパッカーをする。
親になってみると大学まで出た子が就職もしないで旅にでてしまうのは、ちょっと残念な気持ち。そんな気持ちがわかるほど歳を重ねた。
1987年ヒマラヤでヨーガと出会い独学で始める。
2度目のインド旅行中にヨガを仕事にすることを決める。
すぐには始めず自衛隊に就職し勤務先の札幌で1990年札幌のヨガニケタンで学ぶ。
除隊がバイクで国内を周った後、本格的に仕事の道へとすすむ。
1992年から新宿にあった加藤ヨガ学院の指導員養成コースで学ぶ。
1993年から吉祥寺アイアンガーヨガ研究所でアイアンガーヨガを学び始める。
この年から近所の人たちや友達に教え始める
1994年インテンシブコースに参加しアイアンガーから直接学ぶ。
1995年ミャンマーで得度をしヴィパーサナ瞑想を学ぶ。
帰国後オウム事件が起こり、細々と活動を続ける。
1996年からアイアンガーヨガを離れ、アシュタンガ―ヨガをはじめ様々な心と身体のワークを通してヨガを学ぶ。
この時に埼玉県川口市にある外国人ハウスで管理人として働きながら、休みの日を利用してヨガの指導を続ける。
2000年に結婚。
2001年から天籟の故九島正廣先生からクレニオセイクラルワークを学ぶ、
2004年九州に移住し翌年からカルチャーセンターやスポーツクラブでヨガを教え始める。
この時から大分県中津市のイオンでヨガを教え始め現在まで続いている。
2007年和のやすらぎにてヒプノセラピー(対抗催眠、前世療法)養成講座終了
2009年からアバターコースに参加。
2014年アイアンガーヨガ認定指導員 Introductry2取得
2018年ガンの手術を受けオストメイトとなる。
2004年から2018年まで1日数本のレッスンをこなしてきたが術後1日1本のレッスンとする。
そんな生活の中から、お菓子つくり、仏像彫刻、タロット占いなど様々な分野に活動範囲を広げている。
もちろん、ヨガのトレーニングも続けている。
私がヨガを始めて数年して出会ったヨガがアイアンガーヨガでした。
当時は独学でストレッチ系のヨガをずっとしていました。
インドを旅していた時はヨガをしている日本人を見つけてはヨガを教えてもらっていました。
気持ちは良いのですが、物足りなさを感じるようになってきました。筋力もつけないといけないと思うようになりました。
そんな時に先ず出会ったのが沖ヨガでした。
正確には沖先生の孫弟子にあたる先生でした。
沖ヨガは自分にとってはヨガというよりも健康体操という感じでした。
そこで指導員コースに入り教えていく基礎を学びました。
そして偶然出会ったのが『ハタヨガヨガの真髄』でした。
日本では1980年代B.K.S.アイアンガーの来日からアイアンガーヨガの教室が東京や大阪、大分を中心に拡がっていきました。
2000年頃のヨガブームの時もあまりメディアに参加することなく活動が続けられてきました。
ヨーガの価値観とは『自分らしくいきること』
簡単なようで簡単ではない。
精神世界の入り口として始めたヨガ。
いつしかアサナの虜になっていった。
2018年大腸がんに罹り手術をして障害者となった。
その時にヨガの指導を止めようかと病院のベッドの上で考えた。
身体が動かなくても瞑想はできる。
「全ての人にヨガを」
自分がそう思っているわけではない。
自分はヨガでも何でもいいと思っている。
道は沢山ある。
「全ての人にヨガを」
という言葉で救われたのは自分自身だ。
あーまだ続けてもいいんだと。
1987年ネパールを旅していた頃ヨーガに出会った。
ヒマラヤの山々には神が宿るような厳かさを感じたし、精神世界への入り口でもあり、瞑想という言葉も初めて知った。
それから色々な本を読んだ。
神々との合一。
そんな言葉にも納得ができた。
でも、1番大事なことは実践すること。
それから毎日独学でアサナの練習を始めた。
アサナを始めて2年くらいしたある日、生まれてきてから今までの事が全てつながり、『今、ここに存在する』ということが理解できた。
生活そのものが『ヨ―ガ』であること、生きるということが『ヨーガ』である。
今までとは違った価値観の中での生活が始まった。